こちらの商品はご予約品となります。
>>クレジットカード決済をご希望のお客さまへ<<
まとめてのご注文はできません。お手数ですが個々にご注文ください。
車体デザインを変更しただけで、元の車より35km/h近く速く走れる車を想像してみてほしい。現代であれば、これは間違いなくセールスポイントになるだろう、しかし1923年当時はどうやら特筆すべきことではなかったようだ。
アウディが1921年のベルリンモーターショーで中型乗用車タイプK(正しくはアウディ14/50 hp タイプK)を初めて一般公開したときの以下の記録が残っている。"この車は、外観的には時代に即したものであった。つまり、直線的なラインがデザインを特色づけていた。両側に2つの大きなヘッドライトを配した力強いラジエーターグリルは、長方形のフロントガラスと同様に風の抵抗を受けた。"
1923年、自動車構造における空気力学のパイオニア、ポール・ジャレイがアウディKを手にし、研究の末、新しい車体を形作った。1920年代初頭の時代風潮の中で、ジャレイ=アウディのボディは市販のそれとはまったく似ても似つかないものだった。この観点からアウディの経営陣が流線型の未来的なクルマに対して非常に慎重な反応を示したことが今日でも理解できる。経営陣は、このような革命的な外観は大量生産では売れないと確信していたに違いない。最高時速が標準の95km/hから130km/hという驚異的なスピードに引き上げられたことでさえ、おそらく買い手を納得させることはできなかっただろう。