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ロムファクトリー 1/43 ティレル 007 フォード 日本GP 1976 星野 一義 RFSLK124
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1976年、日本のモータースポーツファンが待ち望んだ日本初のF1グランプリ公式戦、F1世界選手権・イン・ジャパンの開催が決まりました。 秋のこのレースに向けてコジマ、マキは新型マシンの開発を始める一方で、当時日本一速い男として名を上げ始めていた星野一義を擁する田中弘監督が率いるヒーローズレーシングはチームタイレルの76年前半までの主戦マシーンであった007を手配しこのレースにエントリーすることを決めました。夏には到着した007は富士スピードウェイのコース特性にあわせて、フジGCシリーズのマーチをはじめとするカウルスペッシャリスト由良拓也氏製作のオリジナルスポーツカーノーズを装着、初のF1タイヤとなるブリジストンのセッティングを煮詰めながらテストを重ね、グランプリ本番を迎えました。しかしながら予選はセンセーショナルな速さを見せたコジマKE007の話題の中で目立たぬ21位、自分のかつての愛車に乗り込む欧州では桑島や高原に比べて無名の日本人である星野の所にやってきたジョディ・シェクターは「抜かれる時は抜いてほしい側の手を上げて指示する様に」と侮辱的な一言を残して立ち去ったと言います。後年のレース中の星野選手のことを知る日本のファンの皆さんならよくもまあそんな恐ろしい事とをと思うエピソードですが、当時のF1トップドライバーからすればそんなものなのでしょう。しかしこれで星野の燃える闘志に火がつかないわけがありません。そして迎えた決勝は大雨の最悪のコンディション、そんな中で大幅に遅れてスタートした決勝レース、富士を知り尽くした星野のドライビングとブリジストンのレインタイヤの組み合わせのこの古い007はスタートからぐんぐん順位をあげ、10周目にはスタート前に星野を嘲笑ったタイレルP34に乗るシェクターをヘアピンのアウト側からパスするという、最高の仕返しをやってみせたのでした。その後3位を維持した星野でしたがタイヤの消耗でついにピットイン、しかしその星野を待っていたのは交換用に準備されたレインタイヤがないという非情な現実でした。日本人ドライバーの実力と可能性を見せた一方で当時の日本のプライベートチームの限界をも見せられる形となって星野は無念のリタイア、翌77年の日本GPでコジマ009で出場した星野はこの年ほど冴えたレースは見せられず、観客の死亡事故で78年以降の富士での日本GPもなくなり星野のF1挑戦はこの2戦のみとなって、そこから鈴鹿での日本GP開催、日本人ドライバー中嶋悟の誕生までまた10年の時間を要し星野のF1の可能性は完全に潰えてしまうのですが、76年のこのレースで見せた星野の強烈な走りは多くの人の記憶に残るものとなりました。1976年、日本のモータースポーツファンが待ち望んだ日本初のF1グランプリ公式戦、F1世界選手権・イン・ジャパンの開催が決まりました。 秋のこのレースに向けてコジマ、マキは新型マシンの開発を始める一方で、当時日本一速い男として名を上げ始めていた星野一義を擁する田中弘監督が率いるヒーローズレーシングはチームタイレルの76年前半までの主戦マシーンであった007を手配しこのレースにエントリーすることを決めました。夏には到着した007は富士スピードウェイのコース特性にあわせて、フジGCシリーズのマーチをはじめとするカウルスペッシャリスト由良拓也氏製作のオリジナルスポーツカーノーズを装着、初のF1タイヤとなるブリジストンのセッティングを煮詰めながらテストを重ね、グランプリ本番を迎えました。しかしながら予選はセンセーショナルな速さを見せたコジマKE007の話題の中で目立たぬ21位、自分のかつての愛車に乗り込む欧州では桑島や高原に比べて無名の日本人である星野の所にやってきたジョディ・シェクターは「抜かれる時は抜いてほしい側の手を上げて指示する様に」と侮辱的な一言を残して立ち去ったと言います。後年のレース中の星野選手のことを知る日本のファンの皆さんならよくもまあそんな恐ろしい事とをと思うエピソードですが、当時のF1トップドライバーからすればそんなものなのでしょう。しかしこれで星野の燃える闘志に火がつかないわけがありません。そして迎えた決勝は大雨の最悪のコンディション、そんな中で大幅に遅れてスタートした決勝レース、富士を知り尽くした星野のドライビングとブリジストンのレインタイヤの組み合わせのこの古い007はスタートからぐんぐん順位をあげ、10周目にはスタート前に星野を嘲笑ったタイレルP34に乗るシェクターをヘアピンのアウト側からパスするという、最高の仕返しをやってみせたのでした。その後3位を維持した星野でしたがタイヤの消耗でついにピットイン、しかしその星野を待っていたのは交換用に準備されたレインタイヤがないという非情な現実でした。日本人ドライバーの実力と可能性を見せた一方で当時の日本のプライベートチームの限界をも見せられる形となって星野は無念のリタイア、翌77年の日本GPでコジマ009で出場した星野はこの年ほど冴えたレースは見せられず、観客の死亡事故で78年以降の富士での日本GPもなくなり星野のF1挑戦はこの2戦のみとなって、そこから鈴鹿での日本GP開催、日本人ドライバー中嶋悟の誕生までまた10年の時間を要し星野のF1の可能性は完全に潰えてしまうのですが、76年のこのレースで見せた星野の強烈な走りは多くの人の記憶に残るものとなりました。
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