1990年代初頭、日本はF1世界選手権において大きな力を示していた。マクラーレンとの共闘で圧倒的な強さを誇示したホンダを筆頭に、日本の企業が挙ってF1をスポンサード。大小の差こそあれ、ほとんどのチームに日本企業のスポンサーロゴを目にし、現在、MLBのドジャースタジアムに日本企業の看板が溢れかえる状況と同じようなことが30年以上前のF1にも起きていた。それほど日本は絶大なF1ブーム。スポンサーだけでなく、チーム運営にまで乗り出す企業も少なくなく、レイトンハウス、ブラバム、そしてフットワークは日本人がオーナーを務めた。中でもフットワークは92年より無限ホンダ・エンジンを搭載し、ドライバーには鈴木亜久里を起用。まさに“ニッポン”を全面に押し出す体制で戦った。予選落ちもままならないテールエンドの常連だったチームは、無限ホンダとの提携で少しずつ戦う集団へと変貌。93年には当時大流行のアクティブサスをマクラーレンから購入すると、一気にグリッド一桁を競えるまでに。フットワーク・無限ホンダで戦った2年間、大きな成果こそ得られなかったものの、日本代表として戦う勇姿は当時のファンの記憶に深く刻まれた








