この商品はゆうパケットでの発送に対応致します。ただし、お支払い方法が代金引換の場合はゆうパケットでの発送は出来ません。
Vol.24は大きな2つのストーリーで構成しました。
●Part.4“スポーツカーの皮を被ったF1”
Vol.22から新しいシリーズをスタートしましたが、Part.4として長年計画してきた“スポーツカーの皮を被ったF1”のストーリーを掲載します。 1970年代後半ロータスがF1GPで実用化したウイングカーは、圧倒的な速さでF1GPを席捲しました。しかし、急激に速さが向上したため、深刻なアクシデントが頻発して起こったことから、F1GPは1982年限りでウイングカーを禁止しました。同じ1982年燃費を制限して速さをコントロールするグループCが誕生しました。 日本では燃費の制限ばかりが注目されましたが、1982年のグループCの最低車重はたった800kgでした。巨大なアメリカのプッシュロッドV8やポルシェのターボエンジンは、ルールを無視しなければ800kgでクルマを作ることは出来ません。しかも、ポルシェの水平対向エンジンは幅が広く、ウイングカーに向きません。この点に注目したエンジニア達は、F1GP同様軽く幅の狭いフォードDFVを搭載したグループCカーの開発を目指しました。苦労の末フォードは、車重がたった800kgで、最新のウイングカーのC100を開発して、1982年最終戦ブランズハッチで圧倒的な速さを披露しました。 それから9年1991年トム・ウォーキンショーは、本当の意味で“スポーツカーの皮を被ったF1”としてTWRジャガーXJR14を送り出しました。TWRジャガーXJR14は“スポーツカーの皮を被ったF1”のピークとなりました。
●AnotherStory of Part.1
また、元々Part.1で掲載すべきだったアルファロメオとフォードのストーリーをAnotherStoryとして掲載しました。1961年フォードはフェラーリと決別して自身でルマンに勝つプロジェクトをスタートしました。同時にフォードは、ディーラーで売っているクルマと同じカタチのツーリングカーレースの制覇を目論みました。 そうして、ロータスと提携したコルチナロータスプロジェクトをスタートしました。 博打うちだったコーリン・チャップマンは、元コベントリークライマックスのエンジニアで友人のハリー・マンディが、フランスのファサルのために開発していたDOHCエンジンの開発が中止されたことを知って、ハリー・マンディに中止されたDOHCヘッドのボアピッチをフォードのケントエンジンに合わせて変更したDOHCエンジンを求めました。 しかし、金がありません。賭けに出たコーリン・チャップマンは、ハリー・マンディに、エンジンを1基作る毎£1か、即金で£1,000の2つを提示しました。ハリー・マンディはロータスが1,000台も新しいクルマを売ることが出来るとは思わなかったため、即金£1,000で仕事を引き受けました。 そうしてロータスツインカムが誕生しました。 ロータスツインカムを積んだコルチナロータスは、ジム・クラークの活躍によって大きな人気を得ました。ライバル達はコルチナロータスを破る方法を追求しました。 当時過激な労働者運動に悩んだアルファロメオは、アルファロメオ自身がレースへ参加するのを避けていました。しかし、アルファロメオが作った高性能車をプライベートチームが走らせるのであれば、アルファロメオは高性能車を作るのが可能と考えたカルロ・キティは、アルファロメオに隠れてアウトデルタを設立しました。同時にロードカーのTipo105ジュリアと関係ないにも関わらずTipo105-11ジュリアTZと名付けた事実上のプロトタイプスポーツカーの開発を進めました。 しかし、アウトデルタを会社として登記したことによって、その翌日アルファロメオの社長だったジュゼッペ・ルラーギに、企みがバレてしまいました。 しかし、カルロ・キティの説得によってジュリアTZを認めたジュゼッペ・ルラーギは、同時にコルチナロータスに勝つツーリングカーの開発を求めました。 そうして開発されたのがTipo105-32ジュリア1600GTAでした。 壮大なストーリーを楽しんでください。








